羊歯食物の日記

鬱病患者ボカロPの陰鬱日記

カゲロウプロジェクトを覚えているだろうか

 私は小中学生のとき、カゲロウプロジェクト(カゲプロ)にハマっていた。同世代のボカロリスナーなら誰もが知る、あの一世を風靡したプロジェクトを覚えているだろうか。

 

 先日、友達の家に泊まり、ニコニコ動画で流行った曲を聴こうという流れになった。『ウッーウッーウマウマ』『なんかのさなぎ』『コンビニ』など、懐かしい動画を沢山見た。かなり感慨深い気持ちになれた。その関連で、『カゲプロ』の曲を聴き、懐かしすぎるな……と思った。こういう、昔を振り返った際、多くの人は、 「昔のノリだ」 「痛い中学生が好きそうだった」 という感想を抱くだろう。現に私も昔を思い出し、少し小っ恥ずかしい気持ちになった。枕に頭を埋めて、足をバタバタさせながらあー!とやるほどではないが。

 

 この小っ恥ずかしさや痛さはどこから来るのだろうか。確かに動画のノリ、曲のノリが平成のノリだというのは間違いはないだろう。しかし、それらのコンテンツ自体が恥ずかしいもの、痛いものなのでは無い。

 

 恥ずかしく、痛いのは私たち自身なのだ。コンテンツは全く悪くない。恥ずかしく痛いのは、私たちがそのコンテンツを好きでいた日々そのものだ。給食中に、好きなボカロの曲を流しただとか、掲示板で自分達のオリジナル組織を作ろうとしただとか、なにかのキャラに感化されてボクっ娘になってみたりだとか。それらをやったのは間違いなくぽまえら自身なのだ。現に私もこれらをやっていた気がする。ボクっ娘ではなかったと否定はしておきたい。

 

 そう、感化された側のコンテンツは何も悪くない。勝手に感化されて、現実世界でそれらを行って、そして歳をとり、それらを恥ずかしく思うのは全て自分のせいなのだ。

 

 カゲプロは痛いだのと、よく耳にする。私はそれが悲しく、しかし、しょうがないものだとも思う。現に、カゲプロに感化されたオタクは痛かった。それは紛れもない事実だ。しかしカゲプロは悪くない。本当にそう言いたい。

 

 先日、友達とカゲプロを一緒に聴いて、普通にかっこいいな、音楽的にも最高だと思ったことからの日記だ。私は何となく、カゲプロを再履修しようかと考えている。かっこいいので。